念仏をしても、
決して背おった荷の重さが軽くなるわけではない。
行き先までの道のりがちぢまるわけでもない。
だが、
自分がこの場所にいる、
この道をゆけばよい、
そしてむこうに行き先の灯が見える。
その心づよさだけで弱虫のわたしはたちあがり、
歩きだすことができた。
念仏とは、
わたしにとってそういうものだった。
(五木寛之『親鸞』激動篇(下)講談社文庫)

卯の花

宗教のことも、
教義ということも、
私にはよくわからない。
でも、
信心とか祈りとかいうものは、
そういうものかと思います。