今日の「世界」は、
木村草太「性同一性障害特例法 違憲決定の意義」

性別取扱いをめぐる議論では、
しばしば〈マジョリティをいかに不快にさせないか〉が注目され、
〈当事者が自分らしく生きられるために、何が必要か〉が、
置き去りにされる傾向がある。

12月22日の山陰中央新報の記事、
「見捨てられたパエスイナ」は、
こういう言葉で結ばれています。
問われているのは、
「忘却の罪」かもしれない。