《初めての恐怖》
昨夜、
『中学生までに読んでおきたい哲学5 自然のちから』(あすなろ書房)を、
ほぼ、
ほぼほぼ読みました。

『中学生までに読んでおきたい哲学5自然のちから』

その中に、
宮沢賢治の「やまなし」が載っていました。

 

川の中に、
二匹の子蟹がいます。
兄弟の蟹です。

のどかな流れのなかで、
おそろしい光景を目にします。

  その時です。
  にわかに天井に白い泡がたって、
  青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾(てっぽうだま)のようなものが、
  いきなり飛び込んで来ました。
  
  兄さんの蟹は、
  はっきりとその青いもののさきが、
  コンパスのように黒く尖っているのも見ました。
  
  と思ううちに、
  魚の白い腹がぎらっと光って、
  一ぺんひるがえり、
  上の方へのぼったようでしたが、
・・・それっきり消えてしまいます。

そこに、
お父さんの蟹がやってきます。
「どうしたい。ぶるぶるふるえているじゃないか」
「お父さん、いまおかしなものが来たよ」

「お父さん、お魚はどこへ行ったの」
「魚かい。魚はこわい所へ行った」

「こわいよ、お父さん」
「いい、いい、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん。きれいだろう」
「こわいよ、お父さん」

子どもが、
初めて恐怖と遭遇するのは、
こういうことかなと思います。

何かわからない大きな力が働き、
日常が一変する。

正体もわからない。
原因もわからない。
対応もわからない。
そうして、
大人は、
そのことをちゃんと説明しない。
答えをはぐらかす。

親は、
現実的にも、
言葉的にも、
自分の無力を実感する。


子どもが、
初めて恐怖に出会うということは、
こういうことなのだろうと思いました。