《浮遊感》
紙上歌壇を眺めて、
どういう歌に心が向くか?
それを考えてみると、
その時々の、
一種の浮遊感と関わりがあるような、
そんな気がします。

この世に漂う頼りない存在として、
あてどなく浮遊する人間として、
その日、
その時の、
倦怠感であったり、
高揚感であったり、
曰く言い難しの、
生きている浮遊感によって、
なんとなく心を重ねているのだろうと思います。

歌壇自体にも傾向があります。
この数か月は、
専(もっぱ)ら「コロナ」に関する歌が、
圧倒的に多く投稿されています。

でも、
私の思いは、
それに靡(なび)いたり、
あえて背を向けたり、
まさしく浮遊しています。


そういうわけで、
今朝の私の浮遊感が選んだ歌を・・・。

朝日歌壇
  おねえちゃんハリー・ポッターよんでるとぜんぜんはなしをきいてくれない
                         (奈良市)やまぞえ そうすけ


読売歌壇
  「もしかして短歌やってる福井さん?」初めて会った人に言われる  鳴門市 楠井花乃

  「毎日が楽しいです」って書いている小学生のあたしに会いたい  堺市 一條智美


毎日歌壇
  啄木の妻の生家の井戸のそばハンカチの木は小雨に泣きぬ  盛岡市 堀米公子

  やわらかき「ばっかだなあ」がよく似合う朝の空なり夏がまた来る  垂水氏 岩元秀人


山陰文芸
  日だまりで腰を下ろしたこの間 ひと月足らずで木陰が恋し  松江 柳浦洋司


同じ歌壇を再読したら、
その時はその時で、
また別の浮遊感で、
心を重ねるのだろうと思います。