《氷解》
昨夜、
二冊の本を読んでいて、
長いこと、
「どういうことだろう?」
と思っていたことが、
的確に解き明かしていただいて、
積年の疑問が評価した思いでした。


『中学生までに読んでおきたい哲学8 はじける知恵』(あすなろ書房)に、
茨木のり子さんが、
「美しい言葉とは」の中で、
石垣りんの詩「崖」について書います。

        崖
             石垣りん
    戦争の終り
    サイパン島の崖の上から
    次々に身を投げた女たち。

    美徳やら義理やら体裁やら
    何やら。
    火だの男だのに追いつめられて。

    とばなければならないからとびこんだ。
    ゆき場のないゆき場所。
    (崖はいつも女をまっさかさまにする)

    それがねえ
    まだ一人も海にとどかないのだ。
    十五年もたつというのに
    どうしたんだろう。
    あの、
    女。

  辞書をひかなければわからないという言葉はなく、
  詩的修飾もまるっきり施(ほどこ)されてはいないのだが、
  しかし、
  きわめて難解な詩だともいえよう。

  最終連の、
  物体としての女は確かに海へ落ちたのだが、
  実体としての女は落ちず、
  行方不明なのだということがわからなければ・・・。
  私の考えによれば、
  行方不明の女の霊は、
  戦後の私たちの暮しのなかに、
  心のなかに、
  実に曖昧(あいまい)に紛(まぎ)れ込んだのだ。
  うまく死ねなかったのである。
  自分の死を死ねなかったのである。  

そういうことなのだと思いました。
うまく死ねなかった、
自分の死を死ねなかった、
確かにそういうことなのだと思いました。
理不尽とは、
そういうことなのだと思いました。


もう一つの「氷解」は、
これも、
少々長くなりますので、
次回のこととします。

二冊の本