【昨日の琴線】2020・8・22
2020年08月22日
《昨日の琴線》
昨日も暑苦しい一日でした。
その中で読んだものの中から、
琴線に触れた一文を紹介します。
私の母は、
大人の噂話や誰かの悪口のような悪意を、
徹底的に子どもから遠ざけるタイプの親だった。
(辻村深月『きのうの影踏み』角川書店)
その潔癖さで、
今にして思えば、
私をいろんなものから守ってくれていたのだろう。
(辻村深月『きのうの影踏み』角川書店)
誰しも先の見えない憂鬱に取り込まれているコロナの渦中に、
この本を紹介すべきか迷った。
(木内 昇「わたしの書斎から」:「新刊ニュース」9月号より)
ここで紹介された「この本」は、
豊岡昭彦・高見澪秀編『文豪たちの憂鬱語録』(秀和システム)
が、やみくもに「頑張ろう!」と唱えるより、
途方に暮れ嘆くことは多くが通る道なのだと知るほうが遥かに救われるのも、
私の場合、
また事実なのである。
(木内 昇「わたしの書斎から」:「新刊ニュース」9月号より)
のちにこの話を知人にすると、
「ガリガリ君サイン」という言葉が、
介護の現場にあると教えてくれた。
(河合香織「母と生の狭間で」:「ちくま」8月号より)
重症者がガリガリ君を欲しがるようになると、
命が危ないのではないかと疑う意味があるという。
(河合香織「母と生の狭間で」:「ちくま」8月号より)
けれど、母親は続けた。
「死にたいほど辛いと思っても、死ぬなんてできません。母は死ねません」
(河合香織「母と生の狭間で」:「ちくま」8月号より)
こんなふうに、
ここに書いた一文は、
そのうち忘れてしまうでしょう。
読んことも、
記憶から抜け落ちるかもしれません。
でも、
2020年の夏が暑かったという記憶は、
頭ではなく体に残るような気がします。