《昨日という日》
吉報が届いて心が湧きたった昨日は、
密かな愁いを共有した日でもありました。

二度と戻らない昨日が、
こうして今日も続き、
おそらく明日も明後日も続く。

昨日という日

昨日という日

そして、
朝の机で、
昨日という日を想う。

昨日という日

昨日、
やっぱり同じ机で読んだ、
「図書」8月号(岩波書店)の断片を思う。

 

    わが袖は潮干に見えぬ沖の石の
        人こそ知らね乾く間もなし  二条院讃岐
                    (「小倉百人一首」)

     あなたは知らないでしょう。
     わたしの袖は、
     あなたを思って涙で濡れたまま乾くことがない。
     ちょうど潮が引いたときも、
     海水をかぶってずっと濡れたままの、
     遠い沖に眠る石のように。

  何度読んでも心震える。
  ここに歌われた恋に、
  ではない。
  遠い沖合の一個の石に想像力を飛ばす、
  人間のその営為に。
              (小池昌代「抱擁)より)


  「やさしみ」という言葉はやさしい。
     (中略)
  やさしさは別にほしくないが、
  「やさしみ」はいいと思う。
  そばにあってほしいとも思う。
  なぜかというと、
  田辺聖子の小説で知った言葉だから。
  
  「やさしみ」は、
  『愛の幻滅』(講談社文庫)で知った。
     (中略)
  みちるは「綺麗やねえ、あんた」と眉子の振袖をほめ、
  「着物、よく似合うわよ」
  と声をかけてくれる。
  そこからの描写は、 
  次の通りだ。       
    私は、
    みちるの人のいいやさしみに触れる喜びを、
    いまさらのように感じさせられた。
        (中略)
  それは、
  会社員に限らなくて、
  アルバイトでも、
  一日限りの派遣でも、
  仕事の場所で会った人との「やさしみ」のやりとりは、
  世界へのささやかな信頼をもたらす。
        (斎藤真理子「『やさしみ』のあった場所」より)