【遅れて・補遺】2020・8・23
2020年08月23日
《遅れて・補遺》
何日か前に、
北村太郎の「小詩集Ⅰ」を引用したとき、
この詩について、
吉野弘が書いていると書きながら、
長いこと、
そのままになっていましたが、
その文章を、
やっと見つけました。
これは、
「小詩集1」と題する四篇の短詩の初めの一篇です。
部屋に入って、
少したってレモンがあるのに気付く。
匂いによってか、
あるいは鮮やかな色を横目でちらと見たりして。
いずれにしても、
レモンは、
そこにあると気付かれる前から、
その部屋にあったものです。
レモンに気付くという行為が、
レモンの存在という事実に遅れている。
まずここに一つの「遅れ」があります。
同じように、
痛みに気付き、
次に傷を見つけるということがある。
事実としては、
傷が先にあって、
痛みはあとなのに、
痛みを通じて傷のあることを知る。
ここにも「遅れ」があります。
人は、
痛みがなければ、
傷や病に、
いつまでも気付かないものなのでしょうか。
たぶん、
そういうものなのでしょう。
(吉野 弘『詩の楽しみ』岩波ジュニア新書)
たぶん、
そういうものなのでしょう。
おそらく、
そういうものなのでしょう。
音を聞いて、
もう終わってしまった出来事を、
知るように・・・。