《遅れて・補遺》
何日か前に、
北村太郎の「小詩集Ⅰ」を引用したとき、
この詩について、
吉野弘が書いていると書きながら、
長いこと、
そのままになっていましたが、
その文章を、
やっと見つけました。

  これは、
  「小詩集1」と題する四篇の短詩の初めの一篇です。
  部屋に入って、
  少したってレモンがあるのに気付く。
  匂いによってか、
  あるいは鮮やかな色を横目でちらと見たりして。

  いずれにしても、
  レモンは、
  そこにあると気付かれる前から、
  その部屋にあったものです。
  レモンに気付くという行為が、
  レモンの存在という事実に遅れている。
  まずここに一つの「遅れ」があります。

  同じように、
  痛みに気付き、
  次に傷を見つけるということがある。
  事実としては、
  傷が先にあって、
  痛みはあとなのに、
  痛みを通じて傷のあることを知る。
  ここにも「遅れ」があります。

  人は、
  痛みがなければ、
  傷や病に、
  いつまでも気付かないものなのでしょうか。
  たぶん、
  そういうものなのでしょう。
       (吉野 弘『詩の楽しみ』岩波ジュニア新書)

たぶん、
そういうものなのでしょう。

おそらく、
そういうものなのでしょう。

音を聞いて、
もう終わってしまった出来事を、
知るように・・・。

遅れて・補遺