《誰か》
昨日、
久しぶりにかつての同僚に会う。
コーヒーを飲みながら、
1時間ほど話す。

時間的にランチの客が多く、
昼時になると、
こんなにも客があるのかと驚く。

少し離れた席から、
食事の合間に、
こっちを見る人がいて、
誰かなのに、
誰かわからない。

会釈するでもなく、
笑顔になるわけでもなく、
ただ時々こっちを見ている。

ときどき、
じっと見ている。

こっちは知らなくても、
あっちは知っているのだろう。

そういう「あっちこっち」の関係。
でも、
どこかで出会ったような気もしてくる。

国木田独歩の「忘れえぬ人」は、
おそらく、
こういう感じのことなのだろう。

 

帰りに万寿寺に行って、
送り盆に供えた花の木を抜いて帰る。


万寿寺の境内、
今月の掲示板。
  心とは
  いかなるものを
  いうならん
  すみ絵にかきし
  松風の音

形も色も音もない、
でも、
確かに存在する。
心とは、
そういうものだと・・・。

昨日の「誰か」も、
今日になってみると、
墨絵の松籟(しょうらい)のように、
輪郭はおぼろげなのに、
あの見つめる目だけは、
くっきり残る。

 

Ipadを忘れたので、
携帯で写す。

以前は、
これで事足りていたのに、
こんなにも不鮮明だったのだ。

写した写真を見て、
昨日の「誰か」を、
またまた思う。

誰か

誰か

誰か