【誰か】2020・9・3
2020年09月03日
《誰か》
昨日、
久しぶりにかつての同僚に会う。
コーヒーを飲みながら、
1時間ほど話す。
時間的にランチの客が多く、
昼時になると、
こんなにも客があるのかと驚く。
少し離れた席から、
食事の合間に、
こっちを見る人がいて、
誰かなのに、
誰かわからない。
会釈するでもなく、
笑顔になるわけでもなく、
ただ時々こっちを見ている。
ときどき、
じっと見ている。
こっちは知らなくても、
あっちは知っているのだろう。
そういう「あっちこっち」の関係。
でも、
どこかで出会ったような気もしてくる。
国木田独歩の「忘れえぬ人」は、
おそらく、
こういう感じのことなのだろう。
帰りに万寿寺に行って、
送り盆に供えた花の木を抜いて帰る。
万寿寺の境内、
今月の掲示板。
心とは
いかなるものを
いうならん
すみ絵にかきし
松風の音
形も色も音もない、
でも、
確かに存在する。
心とは、
そういうものだと・・・。
昨日の「誰か」も、
今日になってみると、
墨絵の松籟(しょうらい)のように、
輪郭はおぼろげなのに、
あの見つめる目だけは、
くっきり残る。
Ipadを忘れたので、
携帯で写す。
以前は、
これで事足りていたのに、
こんなにも不鮮明だったのだ。
写した写真を見て、
昨日の「誰か」を、
またまた思う。