《一人歩き》
昨夜の読書は、
大島真寿美『かなしみの場所』(角川文庫)

 

一人歩き


傍線を引いた箇所を引用します。

 

  「なにしてたの?」
  「なにも」
  羊羹に夢中にまりながら父が言った。
  「悪いか?」
  「悪くはないけど」
  「なにもしなくていいんだ。そのための家じゃないか」

家って、
そういうもんだろうなって思います。

この父と娘の会話を引用していて、
昨日の朝日新聞「折々のことば」を思い出しました。
  ・・・オナカスイタネ
  ・・・ナンカタベヨカ
        (川田順造)


映画「Nのために」の最後の場面は、
こんな会話でした。
  なにたべたい?
  おいしいもの。


『かなしみの場所』に戻ります。
  だから言ってやったの。
  うちの弟はほんとうにろくでもない男だから、
  あんたいっしょになっても苦労するだけだよ、
  だまされるだけだよ、
  それでもいいのかいって。
      (中略)
  佐和さんって人は、
  大丈夫です、っつって笑ってた。
  だまされたっていんです、って言うんだよ。
  それでもいっしょにいたいんですって真顔で。
  若い者ならともかく、
  いい歳した女がそんなことを。
  一生忘れられないよ。


  一時でも、
  そんな場所に身を置けるなら、
  それはきっととても祝福されるべきことなのだ。


  誰かが、
  誰かに会いに来る。
  誰かが、
  誰かに会いたいと思う。
  ・・・それってなんでしょうね。

宮脇眞子さんの「解説」からも一か所。
  生きていれば、
  もう消えてしまいたいようなことがおそらく起きる。
  しかし大島さんの作品は言う。
  「生きよ」と。
  「おそれるな、人々の中へ」と。
  日常の言葉で、
  ユーモアをしのばせて、
  なにげなく、
  そう伝えてくれる。


おかげで、
昨夜は、
本を閉じて、
灯りを消して、
いい気持ちで眠りにつくことができました。


こうした切れ切れの言葉たちが、
話のすじから離れて独り歩きし、
昨夜の心を安らげ、
今朝の心を鼓舞します。