《サフラン》
山道を歩いていたら、
妻が、
農家の庭先にサフランが植わっていたと言います。

私は、
サフランがどういう花か知らないので、
新川和江が「サフラン」という詩を書いていると言うと、
妻は、
さっそくスマホで調べ始めました。

なかなか見つからないので、
確か子どもが熱を出して、
喉がヒューヒューいうやつだったと言ったとたん、
妻が、
あったあったと、
「サフラン」を読み上げます。

  さびしい人から
  さびしさを引いた数だけ
  サフランは ひらきます

  木に咲く花のように
  高い梢を 知りません
  小鳥が飛んできてとまる
  てごろな枝も 持ちません
  束ねてリボンをかけようにも
  ほどよい茎さえ ありません

  でも 地にひくく咲くゆえに
  空の深みにおいでのお方を
  まばたきもせず
  見つめることができるのです
  あの方は一りん一りんに
  ひかりのまなざしを注いでくださいます

  たくさんのさびしさよ
  サフランとなって 咲きなさい
  サフランと咲いて 癒えなさい
     (『新川和江詩集』ハルキ文庫)


私が知っている詩と違います。
でも、
なんてすてきな詩なんだろうと思いました。


家に帰って、
『新川和江詩集』(現代詩文庫64)を開いても、
その詩は載っていません。

知らないはずです。
私の「新川和江」は、
この一冊の中にしかいませんから。

何度もページをめくって、
なんと大それた勘違いをしていたことに気づきました。


私が覚えていた「サフラン」は、
実は「るふらん」でした。

  おじいさんはどこへいったの
  山へ柴かり?
  いいえ いいえ おじいさんはね
  ひよわなおまえののどの奥で
  夜どおし意固地に鞴(ふいご)をふいてる
  だからぼうやは火のように熱いの
     (後略)

不思議な詩ですが、
はじめて読んだときから、
ずっと心惹かれて、
ずっと好きでした。

もっとも気に入っているのは、
桃の種を落とすところです。
  にがい にがい ひとつの種子(たね)
  パパとママがおまえの耳のうしろへ落した
  だからぼうやは怯えて夜なかに目をさますの

「るふらん」は「リフレイン」のことです。
繰り返しの意味です。

 

今朝の空。
かなしいほど秋の空です。
悲しいほど、
哀しいほど、
愛しいほど。

かなしいほど秋の空