《これもまた世界史・最終章》

 

12月8日「ニューロンの芸術」

  1906年、

  サンティアゴ・ラモン・イ・カハルは、

  ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

    (中略)

  (彼が好きだったのは)友人よりも敵を増やすと知りながらも、

  考えていることを大声で口に出すことだった。

  ときどき驚いたように尋ねまわった。

    一度として、

    真実を口にしたこともなければ、

    正義を大切に思ったこともないのかい?

 

12月17日「小さな炎」

  2010年のこの日の朝、

  モハメド・ブアジジは、

  いつものように、

  チェニスのどこかで果物や野菜を積んだ荷車を引いていた。

  いつものように、

  警察が、

  みずからでっち上げた通行料とやらを徴収しにやってきた。

  しかし、

  この日の朝、

  モハメドは支払わなかった。

  警察は彼を殴り、

  荷車をひっくり返し、

  地面に散らばった果物や野菜を踏みつけた。

  するとモハメドは、

  ガソリンを頭からかぶり火をつけた。

  その小さな、

  どこにでもいる露天商の高さほどの火は、

  わずか数日のうとに、

  誰でもないことにうんざりしていた人々によって、

  燃え広まり、

  アラブ世界全体の大きさになった。

 

歴史の真実を見た思いがしました。

まっとうな歴史は。

こういうふうにして楔を打ち込まれ、

こういうふうにして変えられ、

こういうふうにして教科書に書かれ、

こういうふうにして子どもたちの頭と心に刻まれる。

 

12月19日「また一人、別の亡命者」

  1919年の終わり頃、

  250人の「要注意外国人」が、

  ニューヨーク港から、

  アメリカ合衆国への再入国を禁止されて出港した。

  そのうちの一人として、

  エマ・ゴールドマン・・・

    義務兵役制に逆らい、

    避妊法を広め、

    ストライキを組織し、

    国家安全に対してテロを試みたことで、

    何度か逮捕され、

    「極めて危険な外国人」とされた

  ・・・が国外追放になった。

  以下に、

  エマの発言をいくつか拾っておこう。

       (中略)

    いかなる社会も、

    それにふさわしい犯罪者を有する。

    あらゆる戦争は、

    戦うには臆病すぎる泥棒どもが、

    自分たちのために他人に死ねと命じることによって起きている。

 

訳者あとがきで、

訳者の久野量一さんが書いているとおりの「世界史」でした。

  ここには、

  強者や英雄だけからなる世界史ではなく、

  名もない人々、

  忘れられない人々、

  忘れられてしまう人々の営みもまた世界史なのであるという、

  ガレアーノの視点が生かされているように思えたからである。