【これもまた世界史・最終章】2020・10・4
2020年10月04日
《これもまた世界史・最終章》
12月8日「ニューロンの芸術」
1906年、
サンティアゴ・ラモン・イ・カハルは、
ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
(中略)
(彼が好きだったのは)友人よりも敵を増やすと知りながらも、
考えていることを大声で口に出すことだった。
ときどき驚いたように尋ねまわった。
一度として、
真実を口にしたこともなければ、
正義を大切に思ったこともないのかい?
12月17日「小さな炎」
2010年のこの日の朝、
モハメド・ブアジジは、
いつものように、
チェニスのどこかで果物や野菜を積んだ荷車を引いていた。
いつものように、
警察が、
みずからでっち上げた通行料とやらを徴収しにやってきた。
しかし、
この日の朝、
モハメドは支払わなかった。
警察は彼を殴り、
荷車をひっくり返し、
地面に散らばった果物や野菜を踏みつけた。
するとモハメドは、
ガソリンを頭からかぶり火をつけた。
その小さな、
どこにでもいる露天商の高さほどの火は、
わずか数日のうとに、
誰でもないことにうんざりしていた人々によって、
燃え広まり、
アラブ世界全体の大きさになった。
歴史の真実を見た思いがしました。
まっとうな歴史は。
こういうふうにして楔を打ち込まれ、
こういうふうにして変えられ、
こういうふうにして教科書に書かれ、
こういうふうにして子どもたちの頭と心に刻まれる。
12月19日「また一人、別の亡命者」
1919年の終わり頃、
250人の「要注意外国人」が、
ニューヨーク港から、
アメリカ合衆国への再入国を禁止されて出港した。
そのうちの一人として、
エマ・ゴールドマン・・・
義務兵役制に逆らい、
避妊法を広め、
ストライキを組織し、
国家安全に対してテロを試みたことで、
何度か逮捕され、
「極めて危険な外国人」とされた
・・・が国外追放になった。
以下に、
エマの発言をいくつか拾っておこう。
(中略)
いかなる社会も、
それにふさわしい犯罪者を有する。
あらゆる戦争は、
戦うには臆病すぎる泥棒どもが、
自分たちのために他人に死ねと命じることによって起きている。
訳者あとがきで、
訳者の久野量一さんが書いているとおりの「世界史」でした。
ここには、
強者や英雄だけからなる世界史ではなく、
名もない人々、
忘れられない人々、
忘れられてしまう人々の営みもまた世界史なのであるという、
ガレアーノの視点が生かされているように思えたからである。