《七回忌》

一昨日は母に命日、

昨日は母の七回忌の法要。

読経のあいだ、

元気だったころの母の顔を思い出そうとして、

それがねえ、

あんまり思い出せないのです。

思い浮かぶのは、

だんだん我が子のことを忘れがちになってからの、

病院のベッドに横たわる顔ばからりが、

浮かんでは消え、

消えては浮かび。

なんでだろう?

病床の年月より、

遥かに長い年月、

間近で、

その顔を見て来たはずなのに・・・。

言葉やしぐさや、

声の質や手の温もりなど、

ある場面を限って、

鮮烈によみがえるのに・・・。

おかしなことだ。

矍鑠(かくしゃく)としていたころの、

まだ若かった母の顔が、

あんまり思い出せないのです。

次の法要は13回忌。

あと6年、

考えるだけで息切れがしそうだ。

肺ではなく、

心が息切れしそうだ。

  命は光陰に移されて

  しばらくも停(とど)めがたし

  紅顔(こうがん)いづくにか去りにし

  尋ねんとするにしょうせきなし

  つらつら観ずるところに

  往時の再び逢うべからざること多し

          (「修証義」第一章より)

 

人の命は、

時と共に移りすぎていって、

若かったときの面影を求めても跡形もなく、

過ぎ去った日々に出会うことはない。

・・・ということかな?