《本当の仕事》

西條奈加『鱗や繁盛記』(新潮文庫)の巻末、

国文学者の島内景二さんが、

「歓喜の年鑑へ」と題した文章を載せています。

鱗

その中に、こんな一節があります。

  今、念頭にあるのは、

  小林秀雄が対談の席上で、

  三島由紀夫に対して発した言葉である。

  意欲作『金閣寺』を完成させて意気揚々とし、

  「批評の神様」である小林秀雄から、

  どんな言葉がかけられるか期待している三島に向かって、

  小林はこう言った。

    ・・・で、まあ、ぼくが感じたことは、

    あれは小説っていうより抒情詩だな。

    つまり、

    小説にしようと思うと、

    焼いてからのことを書かなきゃ、小説にならない。
                 (対談集『源泉の感情』)

  三島の『金閣寺』は、

  主人公が金閣寺に火を付けた場面で終わっている。

  だが、

  そこから始めるのが小説だと、

  小林は言ってのけた。

 

 

確かにそういうことはあるだろうな・・・と、

そう思いながら、

この文章を読みました。

小説や芸術活動に留まらず、

日々の営み、

たとえば、

育児や教育、

商売や農作業、

何であれ、

当の本人が、

やり遂げたと思ったそこから、

本当の仕事が始まるのだろうな・・・と思いました。

 

当の本人が自分の世界で「やり遂げた」と思うのは、

それは情緒に過ぎなくて、

本当の仕事はそこからなのだと痛切に思いました。