届けていただいた冊子、
「ちくま」の9月号から11月号まで、
まとめて読みました。

ちくま
9月号から始まった連載「TIME OF DEATH DATE OF BIRTH」、
その第一回にこんな個所がありました。
  夜の学校の授業はゆっくりで、
  私のとろい頭でもついていける。
  そのことがうれしかった。
    (中略)
  夜の学校には、
  私より随分と年上のおじさんとおばさんもいたし、
  私のようにいじめとかで昼間の学校に行けなくなった子や、
  昼間に働いている子も予想以上にたくさんいた。
  昼間の学校と違うのは、
  みんな学校に勉強をしに来ているということだった。
  私が通っていた昼間の学校のみんなは、
  勉強より、
  恋愛とか、いじめとか、夜遊びに忙しかった。
  夜の学校の人たちには、
  誰かをいじめる余裕なんてない。
  自分がいじめられていたのに、
  誰かをいじめる人もいない。
  自分のことにみんな一生懸命だから、
  ほかの人にかまう余裕もないのだ。

これは夜間高校の話だから、
意味合いは少し違いますが、
今月号の「であい」(全人教広報誌 月刊「同和教育」)に、
夜間中学について書かれた個所がありましたので、
書き添えておきます。
  夜間中学の運動の中では、
  「あってはならないが、なくてはならない」学校として、
  夜間中学を捉える必要があると語られてきた。
  この言葉は、
  夜間中学は数々の差別や排除の現実が無ければ不必要なはずの、
  「あってはならない」学校だが、
  悲しいことに今なおこうした現実があるため、
  「なくてはならない」学校なのだということを含意している。
  だから、
  夜間中学の運動は、
  究極的には〈夜間中学生を生み出さない社会〉をめざすべきだといわれてきた。
  こうした意味で、
  夜間中学を訪れて、
  夜間中学生の学ぶ姿に感動しているだけでは不十分だろう。
  夜間中学生の姿から、
  私たちは足元で日々生じている差別や排除の現実を見つめ、
  自らのあり方を反省的に捉えかえしていく必要がある。
  夜間中学が切り拓いてきた人権文化を継承するということは、
  差別的な学校文化を克服していくという課題にもつながるのである。
   (江口 怜「夜間中学が切り拓いてきた人権文化を継承するために」より)

 であい