【正月】2021・1・6
2021年01月06日
1月4日の山陰中央新報の「年始エッセー」に、
林真理子がこんなことを書いています。
今年67歳になる。
ちゃんと正月をやった世代の、
最後の方に属するのではと、
最近思うようになった。
その「ちゃんと正月」は、
「元日になると、母親が晴れ着を着せてくれた」で始まり、
友だちと羽つき、カルタとり、
父親と凧揚げ、
正月中の「あけましておめでとうございます」の挨拶、
・・・と続きます。
私も「ちゃんと正月」の世代ですが、
雑煮、おせち、注連縄(しめなわ)、初詣、年賀状・・・、
正月らしいことはするにはしましたが、
それが「ちゃんと正月をやったか?」と問われたら、
いささかおぼつかない・・・のです。
そういうふうに思えば、
このごろ、
ちゃんと年越しをしていないなあと思います。
もっといえば、
ちゃんと節分をしないし、
ちゃんと花見をしないし、
ちゃんと盆もしないし、
ちゃんと秋を味わってもいません。
形だけはギリギリしたかもしれないけど、
心がうすっぺらになっています。
たいした期待も緊張も興奮も感動もないまま、
感慨深く心で味わうこともなく、
するりするりと過ぎていくような、
・・・そんな気がします。
とりわけ去年はそうでした。
そして今年の正月は特にそんな正月でした。
だから、
おいでになった書店の方が、
「玄関にこういうのが飾ってあると正月らしくていいですね」と、
言ってもらうと、
ふわりと正月の風が流れたように感じました。
そんなことを、
そろりそろりと考えた今朝の空。