1月4日の山陰中央新報の「年始エッセー」に、
林真理子がこんなことを書いています。
  今年67歳になる。
  ちゃんと正月をやった世代の、
  最後の方に属するのではと、
  最近思うようになった。
その「ちゃんと正月」は、
「元日になると、母親が晴れ着を着せてくれた」で始まり、
友だちと羽つき、カルタとり、
父親と凧揚げ、
正月中の「あけましておめでとうございます」の挨拶、
・・・と続きます。

私も「ちゃんと正月」の世代ですが、
雑煮、おせち、注連縄(しめなわ)、初詣、年賀状・・・、
正月らしいことはするにはしましたが、
それが「ちゃんと正月をやったか?」と問われたら、
いささかおぼつかない・・・のです。

そういうふうに思えば、
このごろ、
ちゃんと年越しをしていないなあと思います。
もっといえば、
ちゃんと節分をしないし、
ちゃんと花見をしないし、
ちゃんと盆もしないし、
ちゃんと秋を味わってもいません。
形だけはギリギリしたかもしれないけど、
心がうすっぺらになっています。

たいした期待も緊張も興奮も感動もないまま、
感慨深く心で味わうこともなく、
するりするりと過ぎていくような、
・・・そんな気がします。
とりわけ去年はそうでした。
そして今年の正月は特にそんな正月でした。

だから、
おいでになった書店の方が、
「玄関にこういうのが飾ってあると正月らしくていいですね」と、
言ってもらうと、
ふわりと正月の風が流れたように感じました。
花2

そんなことを、
そろりそろりと考えた今朝の空。
堀川1

青空1