昨日の『相棒』で杉下右京が言っていました。
  肉親の確執(かくしつ)は、
  どちらか一方が、
  少しでも一方の気持ちを解(わか)ったったときに解(と)かないと、
  手遅れになってしまう。

「肉親の確執」、
私も無縁ではないので、
心がチクリと痛みました。

昨日読んだ時代小説、
中島久枝『浮世の豆腐~一膳めし屋丸九~(3)』(ハルキ文庫)の名言。
  なすはなすの実がつきます。
  桜は桜の花が咲く、
  ところが困ったことに、
  人はどんな花が咲いて、実がつくかわからない。

澤田瞳子『関越えの夜~東海道 浮世がたり~』(徳間文庫)の名言。
  自分たちは知らず知らずのうちに、
  色々な間違いを重ねているのかもしれない。
  過ちに気づかぬのはそれ自身が、
  大きな過怠(かたい)。
  だが間違いを知りつつ、
  更にそ知らぬ顔を続けることは、
  人の道理に背く行いだ。

畠山健二『本所おけら長屋(11)』(PHP文芸文庫)の名言。
  (世間は)悪口を言わないことと引き換えに、
  関りを持たなくしようとするだけだ。
  おけら長屋の人たちには、
  それがわかっているんだ。

知的に遅れのある八百屋の金太に対して、
おけら長屋の住人・万蔵と松吉は、
面と向かって小ばかにすることもあり、
軽口を言ってからかうこともある。
でも、
陰に陽に立ち回って、
金太が困らないように、
世間で暮らしていけるように、
心にかけ、手を尽くし、汗も涙も流す。
そのことに触れて鉄斎が言った言葉です。