このごろ、
生活に余白が無くなったなあと思います。
昨日も用事があって出かけましたが、
往復も用事も会話も、
その往復、用事、会話で完結して、
余白と呼べるものが無かったなあと思います。
寄り道もせず、
追加の用事もなく、
必要以上の会話もありませんでした。

ちょうど帰宅して階段を上がろうとしていたら、
階段を下りて来られた書店の方に出会いました。

「今日は比較的あったかですね」とか、
そんな世間話をしました。
ささやかな「余白」でした。

「余白」と共に届けていただいた数冊の中から、
「余白的読書」をしました。

山本巧次『江戸美人捕物帳~入舟長屋のおみわ~』(幻冬舎時代小説文庫)

旬1
「余白的引用」をします。
  期待が大きいほど、
  人は見たいものしか見なくなるものだ。
そういうことって、
結構あったなあと思います。

今日も、
必要があって出かけます。
必要があって来客があります。
今日の人たちとは「余白」があるような気がします。
そういう人たちですから。