【1・17】2021・1・19
2021年01月19日
昨日の毎日新聞に、
阪神淡路大震災の追悼式、
遺族代表追悼の言葉の要旨が載っていました。
父、母、娘の桜子は屋根の下敷きで、
隙間から声が聞こえました。
私は近所の人に助けを求めました。
屋根が外れ、一番に桜子が出てきました。
「まだ温かい」という言葉とともに、
桜子を病院へ運んでもらったのは7時ごろでした。
助かったかもしれないと望みをつないでいましたが、
ダメだったということが夕方に判明し、
気力を無くしました。(後略)
「桜子」さんは、当時6歳だったそうです。
1995年1月17日から、
27年が経過しました。
1月16日の毎日新聞と、
1月17日の読売新聞に、
全く同じ記事が載っていました。
神戸の看護師さんの話。
「この赤ちゃんを温めてあげて」
震災直後の明け方でまだ暗い中、
神戸市東灘区の自宅マンションの外に出た時だった。
近くにいた大人から突然、
毛布にくるまれた生後間もない赤ちゃんを手渡された。
崩れ落ちた隣の文化住宅から救助されたばかりだった。
傷もなくきれいな顔。
すでに体は冷たかった。
ぎゅっと胸に抱きよせ、
頭や背中を必死でさすった。
だが、ぬくもりは戻らず、
泣き声も上げない。
30分ほどして近くの大人に引き渡した。
後に、
赤ちゃんとその母親は亡くなったと聞いた。
この人は、
高校卒業後、
看護の専門学校に進み、
2003年に看護師になったそうです。
大人の一言が、
一人の中学生の人生を変えました。