昨日の毎日新聞に、
阪神淡路大震災の追悼式、
遺族代表追悼の言葉の要旨が載っていました。
  父、母、娘の桜子は屋根の下敷きで、
  隙間から声が聞こえました。
  私は近所の人に助けを求めました。
  屋根が外れ、一番に桜子が出てきました。
  「まだ温かい」という言葉とともに、
  桜子を病院へ運んでもらったのは7時ごろでした。
  助かったかもしれないと望みをつないでいましたが、
  ダメだったということが夕方に判明し、
  気力を無くしました。(後略)
「桜子」さんは、当時6歳だったそうです。

1995年1月17日から、
27年が経過しました。

1月16日の毎日新聞と、
1月17日の読売新聞に、
全く同じ記事が載っていました。
神戸の看護師さんの話。
  「この赤ちゃんを温めてあげて」
  震災直後の明け方でまだ暗い中、
  神戸市東灘区の自宅マンションの外に出た時だった。
  近くにいた大人から突然、
  毛布にくるまれた生後間もない赤ちゃんを手渡された。
  崩れ落ちた隣の文化住宅から救助されたばかりだった。
  傷もなくきれいな顔。
  すでに体は冷たかった。
  ぎゅっと胸に抱きよせ、
  頭や背中を必死でさすった。
  だが、ぬくもりは戻らず、
  泣き声も上げない。
  30分ほどして近くの大人に引き渡した。
  後に、
  赤ちゃんとその母親は亡くなったと聞いた。

この人は、
高校卒業後、
看護の専門学校に進み、
2003年に看護師になったそうです。

大人の一言が、
一人の中学生の人生を変えました。