古本の『現代日本文学~有吉佐和子・瀬戸内晴美集~』(学研)で、
尾崎秀樹「『美は乱調』の旅~瀬戸内晴美文学紀行~」を読みました。

それによると、
伊藤野枝は28歳の若さで虐殺されます。
虐殺の後、
野上弥生子が彼女を偲んで書いた文章が引用されています。
  あの人に何の罪がありましょう。
  あの人の社会主義かぶれなんぞ、
  私の信ずるところが間違っていなければ、
  百姓の妻が夫について、
  畑の仕事に出ると同程度のものに過ぎないと思います。
  若(も)し大杉氏が貴族か金持であったら、
  悦(よろこ)んで貴族や金持の生活をしたでしょう。
  ・・・これは決して野枝さんを軽蔑しての意味ではなく、
  それ程にあの人は、
  愛する人の世界に身を打ち込んで行ける人だと申すのです。

山川菊栄の追憶が並べて引用されています。
  野枝さんの方は、
  大杉さんのように著しい特徴のある人でもなく、
  世間の愛憎の的となるような英雄的な人物でもなかった。
  いたって普通な婦人で、
  どちらかといえばむしろ非理知的な、
  感情によって動くたちの人で、
  理論的な方面ふぇはとり立てていうほどのこともなく、
  どこまでも本能的な、
  単純な人だと思われた。

尾崎秀樹もまた、このように書いています。
  伊藤野枝は詩人としても未熟だし、
  作家としてもそれほど才能があったとは思われない。

あの悲劇的な最期から、
私は伊藤野枝のことを、
大杉栄や小林多喜二とダブらせて、
勝手な思い込みをしていたようです。

伊藤野枝に対する印象が一変しました。
太宰治と心中した山崎富栄に抱いていた印象が、
彼女の父親の手記で一変したときと、
よく似た感慨でした。 
旬1