先日の新聞書評で、
宮城谷昌光『孔丘』(文藝春秋)が紹介されていました。
  昭和において、
  孔子を知るには、
  下村湖人『論語物語』と中島敦『弟子』だったが、
  令和ではこの一冊・・・
というような文言だったと思います。

長いこと、
本箱に読みさしたままになっていた『論語物語』を、
先週末、
取り出しました。

これが思いのほか面白いのです。

どうして途中で投げ出したのだろう?

少し引用します。
  一身を潔くするだけのことなら、
  大して難しいことではない。
  難しいのは、
  天下と共に潔くなることじゃ。

  こうして彼は、
  衛を去る決心をしてからも、
  永い間、門人たちを相手に日を送っていた。
  丁度われわれが、旅に出る前に、
  子供たちを抱き上げて頬ずりするように、
  彼は彼の門人たちの心を、
  その大きな胸の中に抱きとって、
  仁の光に浸らせようと努めていたのである。

「論語」の短い章句を手掛かりに、
どうしてこのような魅力的な物語を創作できたのだろう?
読みながらずっと疑問でした。
でも、
この(注)を読んで納得しました。
  この物語の大体の筋は、
  孔子の伝記の中でも最も古いといわれている、
  司馬遷の「孔子世家」に依った。  
旬1