【続・貧乏神と福の神】2021・5・2
2021年05月02日
喬丸が言います。
こういうことではないかな。
人は自分の心の中で呟(つぶや)く。
真面目に一生懸命に働かなければならない。
贅沢(ぜいたく)をしてはいけない。
金を貯めなければいけない、とな。
この気持ちが福の神だ。
だが、
なかなかそうはいかない。
人の心とは弱いものだ。
楽をしたい、怠けたい、贅沢がしたい、
酒を呑みたい、博打(ばくち)を打ちたいと、思うものだ。
これが貧乏神だ。
心の中にいる福の神の教えを守れば、
知らず知らずのうちに裕福になり、
心の中にいる貧乏神の囁(ささや)きに負けてしまった者は貧乏になる。
つまり、
福の神と貧乏神は表と裏ってことではないのかな。
島田さんの言う通りだ。
貧乏神を追い出したければ、
真面目に働けということだ。
教える人が二人いるのは、
案外いいことかもしれません。
導く人が複数いるのは、
案外いいことかもしれません。
教えるか学ぶか?
洗脳か成熟か?
良い先生は生徒に分かり易く教える。
優れた先生は生徒に考えさせる。
偉大な先生は生徒に火を付ける。
船を作らせたいなら、
木の切り方、組み立て方を教える人が要る。
一方、
海岸に連れて行って大海原(おおうなばら)を見せる人も要る。
夢を育(はぐく)む人と、
技術を教え込む人と。