喬丸が言います。
  こういうことではないかな。
  人は自分の心の中で呟(つぶや)く。
  真面目に一生懸命に働かなければならない。
  贅沢(ぜいたく)をしてはいけない。
  金を貯めなければいけない、とな。
  この気持ちが福の神だ。
  だが、
  なかなかそうはいかない。
  人の心とは弱いものだ。
  楽をしたい、怠けたい、贅沢がしたい、
  酒を呑みたい、博打(ばくち)を打ちたいと、思うものだ。
  これが貧乏神だ。
  心の中にいる福の神の教えを守れば、
  知らず知らずのうちに裕福になり、
  心の中にいる貧乏神の囁(ささや)きに負けてしまった者は貧乏になる。
  つまり、
  福の神と貧乏神は表と裏ってことではないのかな。
  島田さんの言う通りだ。
  貧乏神を追い出したければ、
  真面目に働けということだ。

教える人が二人いるのは、
案外いいことかもしれません。

導く人が複数いるのは、
案外いいことかもしれません。

教えるか学ぶか?
洗脳か成熟か?

良い先生は生徒に分かり易く教える。
優れた先生は生徒に考えさせる。
偉大な先生は生徒に火を付ける。

船を作らせたいなら、
木の切り方、組み立て方を教える人が要る。
一方、
海岸に連れて行って大海原(おおうなばら)を見せる人も要る。

夢を育(はぐく)む人と、
技術を教え込む人と。