一昨日の朝日新聞の書評に、
いとうせいこう『福島モノローグ』(河出書房新書)が取り上げられていました。
その中で、
カロリン・エムケ『なぜならそれは言葉にできるから』(みすず書房)が引用されています。
  極度に悲惨な体験をした多くは、
  自らのトラウマを打ち明けもせずに沈黙するが、
  真に信頼できる聞き手が現れたとき、
  「それ」は声となって表出され、
  語り手はやがて人間性を取り戻していくのだ。
さもありなんと同感しました。

昨日の山陰中央新報の連載コラム「日常の社会派」の中で、
山崎ナオコーラさんが、
パラリンピックとオリンピックの開催準備に触れて書いています。
  どうも、
   個人の経済は回せないのに、
   国の経済は回していい。
   個人の遊びは我慢するのに、
   国の遊びは我慢しなくていい。
  という矛盾をはらんだ考え方に見え、
  ふに落ちない。
さもあらんと同感しました。