最近、
Youtubeで、
「昭和の日本」と題されたシリーズ映画を観ています。
いずれも舞台は昭和20年代と思われます。
「風光る日に」に始まって、
「小さな町の小さな物語」
「おばあちゃんあやまる」
「お母さんの幸福(しあわせ)」と続き、
昨夜は「今どきの嫁」を観ました。

モノクロの映画です。
テーマはそれぞれ違いますが、
総じて貧しい時代です。
生活も苦しい時代です。
そして子どもが多く誰もひもじい。

「風光る日に」の中に、
こんなセリフがありました。
  夏の夕暮れ、
  堀端を歩いていると、
  風が吹いてきて、
  やがて吹き去っていった。
  吹き去った風は二度と触れることができない。
  自分だけが深い井戸の底に取り残された気がした。
  この世には、
  こうした取り返しのつかない虚しさがあると、
  それが心にしみた。

そんな思い出話というか述懐が語られていました。

おそらく、
人は幼少期のどこかで、
これに似た喪失感を実感するときがあるように思います。
それが大人の入口なのかもしれません。
そうして、
限りある人生の扉を開けるのでしょう。

子どものころ、
家の裏の小川を流れていた落ち葉が、
土管の中に吸い込まれるのを見たとき、
私もそんな感覚を持ちました。
世の中には、
もうどうにもならないことがあるのだという感覚。
過ぎ去って帰り来ぬものがあるのだという実感。
どうしても取り返せないことがあるという喪失感。

映画の流れとかテーマとは別に、
この喪失感というか虚しさに、
久しぶりに心がしんとして、
思いがたゆたいました。