【おもかげ】2021・5・26
2021年05月26日
浅田次郎『おもかげ』(講談社文庫)を、
昨日、
読み始めて思いました。
浅田次郎らしい話だなあと。
読み終えて更に思いました。
浅田次郎らしい話だったなと。
それだけ頑張ったとは言わない。
努力したかどうかなんて、わからない。
ただ、
世間の人に片ッ端から頭を下げ続けなければ、
生きられなかったのはたしかだ。
「竹脇正一」は児童養護施設で育ちました。
恥ずかしい話だとは思わないが、
なかった過去にしなければ、
まともに生きてこられなかった。
「竹脇正一」は息子を4歳で亡くします。
それが原因で離婚しそうになります。
堀田はつらい説諭をしてくれた。
なかったことにしろ。
忘れたふりでいいんだ。
茜ちゃんを片親にするつもりか。
その一言は効いた。
忘れるはずはない。
だが、
忘れたふりをしなければ、
僕と節子はもたなかった。
「竹脇正一」も妻の「節子」も、
それぞれに、
それぞれの事情で親に愛されることなく育ちました。
自分が父母の悲しい履歴を知ったのは、
いつのころだったのだろうと茜は考えた。
改まって説明されたわけではない。
父と母がべつべつに、
しかもいっぺんにではなく少しずつ、
まるで離乳食でも与えるように教えてくれたように思う。
「竹脇正一」は、
「篤志家の善意と国民の税金」で育ちました。
僕にとってのアリガトウゴザイマスは、
感謝の言葉である前に、
自分が生きてゆくために唱え続けなければならぬ呪文のようなものだった。
施しを受ける者は、
いつだって、
施しを与える者の隣に立たされ、
「アリガトウゴザイマス」を言わせられる。
いろんな処で、
とりわけ被災地などでは特に見られる光景です。
『あしながおじさん』の「ジュディ・アボット」を思い出して、
胸が切なくなります。