読みたかった本を、
昨日、届けていただき、
読みたかったから、
昨日、読みました。
松家仁之『泡』(集英社)
まついえ まさし・・・と読むそうです。
旬1

  教師である浩一から見れば、
  兼定が教育的人物でないのはあきらかだ。
  しかし高校に行かなくなった息子の預け先として考えたとき、
  あるいは回復のきっかけになるかもしれないと、
  淡い期待を抱いたのは、
  兼定が教育的ではないからだ。

  同情や詮索は何の役にも立たない。
  無条件の手助けが必要なときがある。

  音楽でなければ溶けない痛みもある。

  ことばで考えつづけても、
  なにも変えられない。

  いかようにもがけどせんなからまいに。

  《エラ・フィッツジェラルド》
    十代の女の子の歌にみんな驚いて、聞き惚れた。
    あんな声で歌う歌手はいないってね。

  《モーツァルトの交響曲第四十番第二楽章】
    自分がどんな状態でもしみるように入ってくる。
    他の楽章とあまりに異なる旋律であり、リズムだった。
    ほかの楽章は兼定には不要だった。
    第二楽章だけ聴いていればいい。
    波のような、風のような音楽。
    自分の拍動のようでもある。
    自分が死ぬときにはこのような拍動を最後に、
    心臓も、脳も、呼吸も停止してくれればいい。

昨夜、
エラ・フィッツジェラルドも第二楽章も、
Youtubeで飽きるほど聴きました。