【泡】2021・6・6
2021年06月06日
読みたかった本を、
昨日、届けていただき、
読みたかったから、
昨日、読みました。
松家仁之『泡』(集英社)
まついえ まさし・・・と読むそうです。
教師である浩一から見れば、
兼定が教育的人物でないのはあきらかだ。
しかし高校に行かなくなった息子の預け先として考えたとき、
あるいは回復のきっかけになるかもしれないと、
淡い期待を抱いたのは、
兼定が教育的ではないからだ。
同情や詮索は何の役にも立たない。
無条件の手助けが必要なときがある。
音楽でなければ溶けない痛みもある。
ことばで考えつづけても、
なにも変えられない。
いかようにもがけどせんなからまいに。
《エラ・フィッツジェラルド》
十代の女の子の歌にみんな驚いて、聞き惚れた。
あんな声で歌う歌手はいないってね。
《モーツァルトの交響曲第四十番第二楽章】
自分がどんな状態でもしみるように入ってくる。
他の楽章とあまりに異なる旋律であり、リズムだった。
ほかの楽章は兼定には不要だった。
第二楽章だけ聴いていればいい。
波のような、風のような音楽。
自分の拍動のようでもある。
自分が死ぬときにはこのような拍動を最後に、
心臓も、脳も、呼吸も停止してくれればいい。
昨夜、
エラ・フィッツジェラルドも第二楽章も、
Youtubeで飽きるほど聴きました。