「熱風」(スタジオジブリ)4月号は、
「アーヤと魔女」特集でした。
旬1

「『不正操作』に対抗するファンタジー~宮崎吾朗「アーヤと魔女」をめぐって~」
と題して、佐野 亨さんが「アーヤと魔女」論を載せてます。

その中に、
「不正操作」という語が10回も出てきます。

初めて目にする語でしたが、
その意味がだいたい分かりました。
そして、
惹かれました。
いくつか引用します。
  チェコのアニメーション作家、
  ヤン・シュヴァンクマイエルは、
  人間の運命や行動はじぶんの意思ではなく、
  「不正操作(manipulate)」によって決定される、
  というモティーフを、
  「ファウスト」その他ほとんどの作品でくりかえし描いている。
  こうしたモティーフは、
  もちろんシュヴァンクマイエルが、
  社会主義国家において被った抑圧と深くかかわっており、
  ゆえに彼のあらゆる創作活動は、
  「不正操作」への対抗と見ることができる。

  つまり、
  自由奔放にわがまま放題しているように見えるマーヤもまた、
  逃れがたい「不正操作」にあらかじめ捕らわれた存在なのである。

  そして案の定、
  「不正操作」の歯車は動き、
  アーヤは彼女自身の意思とは関係なく、
  魔女のベラ・ヤーガと小説家のマンドレークが暮らす家に引き取られる。

宮﨑吾朗は、
父・宮崎 駿の側で、
父の仕事と生き方を見て育ち、
父とは異なる価値観を抱いたとあります。
  要するに、
  アニメーション監督としての宮崎吾朗という存在それじたいが、
  もともと「不正操作」によって生じたものなのである。

  なぜなら宮崎吾朗の創作活動は、
  自身に降りかかってきた「不正操作」への抵抗を意味しているからだ。

「不正操作」、
だいたい理解しましたが、
スッキリ分かったわけではありません。
途中から、
矛盾を感じる個所もありますが、
「運命」と置き換えて読みました。