宮川ひろ『母からゆずられた前かけ』(文溪堂)に、
坪田譲治の言葉が引用されていました。
  作家というものは、
  人生という市場から材料を仕入れてきて、
  文学という料理をつくりあげる料理人である。
  まず、いい材料を見つける料理人の目をもたなければならない。

「凌雲さん」も、
「自分に号令をかけるおじさん」も、
「ほらをふきとばすおじさん」も、
読み書きができない人のために代読や代筆する「郵便屋さん」も、
言ってみれば「名もなき人生」を生きた人たちです。
でも、
その人生はすてき輝きを放っていました。
宮川ひろさんは、
そうした名もなき人生の輝きを見つけて、
いわば「いい材料」を見出し、
すてきな作品を書き上げた・・・そんな気がします。

今までのところで、
いちばん心に残ったのは「おこうあんねえ」です。
  ・・・こんなとき、おこうあんねえなら、どうするだろう・・・。
  なにか、困ったことがおこるたびに、
  そう思うようになったのは、
  いつごろからだったでしょうか。

  おこうあんねえなら、どうすべえ。

「おこうあんねえ」の人生も、
名もなき人生だったでしょうが、
人から「おこうあんねなら、どうすべえ」と、
人生の岐路に迷ったとき、
折に触れて思い出される人を、
心の底から羨ましく思いました。

私の人生もまた、
名もなき人生であるなあと思います。

でも、
名もなき暮らしをしていながら、
ときたま、
名のある暮らしと思う時もあります。
まれには、
名もある暮らしと思うこともあります。

旬1