【名もなき人生】2021・6:10
2021年06月10日
宮川ひろ『母からゆずられた前かけ』(文溪堂)に、
坪田譲治の言葉が引用されていました。
作家というものは、
人生という市場から材料を仕入れてきて、
文学という料理をつくりあげる料理人である。
まず、いい材料を見つける料理人の目をもたなければならない。
「凌雲さん」も、
「自分に号令をかけるおじさん」も、
「ほらをふきとばすおじさん」も、
読み書きができない人のために代読や代筆する「郵便屋さん」も、
言ってみれば「名もなき人生」を生きた人たちです。
でも、
その人生はすてき輝きを放っていました。
宮川ひろさんは、
そうした名もなき人生の輝きを見つけて、
いわば「いい材料」を見出し、
すてきな作品を書き上げた・・・そんな気がします。
今までのところで、
いちばん心に残ったのは「おこうあんねえ」です。
・・・こんなとき、おこうあんねえなら、どうするだろう・・・。
なにか、困ったことがおこるたびに、
そう思うようになったのは、
いつごろからだったでしょうか。
おこうあんねえなら、どうすべえ。
「おこうあんねえ」の人生も、
名もなき人生だったでしょうが、
人から「おこうあんねなら、どうすべえ」と、
人生の岐路に迷ったとき、
折に触れて思い出される人を、
心の底から羨ましく思いました。
私の人生もまた、
名もなき人生であるなあと思います。
でも、
名もなき暮らしをしていながら、
ときたま、
名のある暮らしと思う時もあります。
まれには、
名もある暮らしと思うこともあります。