昼下がり、
窓辺で読んだ海辺の本、
小川紗良『海辺の金魚』(ポプラ社)

花2

「家族」という語、
「かわいそう」という語が何度も出てきます。
そのうちのいくつかを引用します。
  家族とは、そんなに素晴らしいものなのだろうか。
  いつか読んだ本に、
  家族とは、
  「自分から決して逃げない人」のことだと書いてあった。
  一度逃げられてしまった私たちは、
  この先その「家族」というものを、
  一体どう信じれば良いというのだろう。
  家で、学校で、テレビで、本で、
  世界のあらゆる場で重宝されている、
  「家族」という観念に直面するたび、
  私はこの世界から除け者にされたような心地になる。

小説の舞台は児童養護施設です。

  「ああ、あそこの。かわいそうにねえ・・・。がんばってね」
  「いいのよ。だって、かわいそうじゃない」

18歳の彼女がこんなことを言います。
  高校を卒業した。
  高校自体に大して思い入れななかったが、
  高校に通っているという状態には思い入れがあった。
  高校に通っていなければ、
  私は早々に社会へ放り出されることになる。
  高校進学は、
  私がまだ星の子の家で過ごし守られるための理由だった。
  他の子たちが当たり前にすることでも、
  私の場合はいつも明確な理由が必要だった。

読みながら思いました。
長く高校という世界で生きていて、
「高校」を内側から見てはいたものの、
「高校生」は外側からしか見ていなかったなあと。