【海辺の金魚】2021・6・20
2021年06月20日
昼下がり、
窓辺で読んだ海辺の本、
小川紗良『海辺の金魚』(ポプラ社)
「家族」という語、
「かわいそう」という語が何度も出てきます。
そのうちのいくつかを引用します。
家族とは、そんなに素晴らしいものなのだろうか。
いつか読んだ本に、
家族とは、
「自分から決して逃げない人」のことだと書いてあった。
一度逃げられてしまった私たちは、
この先その「家族」というものを、
一体どう信じれば良いというのだろう。
家で、学校で、テレビで、本で、
世界のあらゆる場で重宝されている、
「家族」という観念に直面するたび、
私はこの世界から除け者にされたような心地になる。
小説の舞台は児童養護施設です。
「ああ、あそこの。かわいそうにねえ・・・。がんばってね」
「いいのよ。だって、かわいそうじゃない」
18歳の彼女がこんなことを言います。
高校を卒業した。
高校自体に大して思い入れななかったが、
高校に通っているという状態には思い入れがあった。
高校に通っていなければ、
私は早々に社会へ放り出されることになる。
高校進学は、
私がまだ星の子の家で過ごし守られるための理由だった。
他の子たちが当たり前にすることでも、
私の場合はいつも明確な理由が必要だった。
読みながら思いました。
長く高校という世界で生きていて、
「高校」を内側から見てはいたものの、
「高校生」は外側からしか見ていなかったなあと。