【続・可惜の人】2021・7・24
2021年07月24日
『米原万里』(無印良品)から、
もう少し引用します。
その前に、
「広辞苑」第七版を開いて、
あたら【可惜】アタラシの語幹。惜しくも。もったいないことに。惜しむべき。
まずは、
彼女が引用している外山滋比古の言葉から。
幼児にはまず三つ児の魂(個性的基本)をつくるのが最重要である。
これはなるべく私的な言語がよい。
標準語より方言がよい。
方言より母親の愛語がよい。
ここで外国語が混入するのは最もまずいことと思われる・・・
(外山滋比古『日本語の論理』中央公論社)
「ただほど高いものはない」とはいうものの、
とりたてて努力しないで自然に手に入れたものを、
ふつう人間はあまり有り難がらない。
大事にしない。(中略)
また、トルストイは、『戦争と平和』のなかで、
おおよそ面倒を見た側のほうが、
面倒をかけた側より相手のことをいつまでも覚えているものだ」
といっている。 (「空気のような母なる言葉」より)
子どもたちが、
人生の知恵(これを「文化」という)を最も良く学ぶことができるのは、
隔離された教室内での理論学習からではなく、
大人たちとの共同の労働を通してであることは、
多くの教育学者が指摘してきたことだが、
それは仔猫を観ていても分かる。
(中略)
(巧みにネズミをつかまえる述)を身につけるには、
最低でも毛玉を追いかける経験が必要だし、
大人の猫と一緒にネズミを追いかけた経験があれば、なお良い。
(「日本がかかえるいくつかの問題を一挙に解決する案」より)
読みながら「可惜の人だなあ」と思い、
読み終えて更に「可惜の人だなあ」と思い、
書き写しながら改めて「可惜の人だなあ」と思った次第です。