『米原万里』(無印良品)から、
もう少し引用します。

その前に、
「広辞苑」第七版を開いて、
  あたら【可惜】アタラシの語幹。惜しくも。もったいないことに。惜しむべき。

まずは、
彼女が引用している外山滋比古の言葉から。
  幼児にはまず三つ児の魂(個性的基本)をつくるのが最重要である。
  これはなるべく私的な言語がよい。
  標準語より方言がよい。
  方言より母親の愛語がよい。
  ここで外国語が混入するのは最もまずいことと思われる・・・
             (外山滋比古『日本語の論理』中央公論社)

  「ただほど高いものはない」とはいうものの、
  とりたてて努力しないで自然に手に入れたものを、
  ふつう人間はあまり有り難がらない。
  大事にしない。(中略)

  また、トルストイは、『戦争と平和』のなかで、
    おおよそ面倒を見た側のほうが、
    面倒をかけた側より相手のことをいつまでも覚えているものだ」
  といっている。           (「空気のような母なる言葉」より)

  子どもたちが、
  人生の知恵(これを「文化」という)を最も良く学ぶことができるのは、
  隔離された教室内での理論学習からではなく、
  大人たちとの共同の労働を通してであることは、
  多くの教育学者が指摘してきたことだが、
  それは仔猫を観ていても分かる。
      (中略)
  (巧みにネズミをつかまえる述)を身につけるには、
  最低でも毛玉を追いかける経験が必要だし、
  大人の猫と一緒にネズミを追いかけた経験があれば、なお良い。
       (「日本がかかえるいくつかの問題を一挙に解決する案」より)

読みながら「可惜の人だなあ」と思い、
読み終えて更に「可惜の人だなあ」と思い、
書き写しながら改めて「可惜の人だなあ」と思った次第です。