「波」(新潮社)9月号を届けていただきました。
北村 薫「本の小説~糸~」の後編が載っています。
サマセット・モームが取りあげられています。
  モームなら、
  昔は本屋さんの新潮文庫の棚に行けば・・・ということは、
  かなりの田舎でも、
  あれこれ手に取ることができました。
     (中略)
  昭和十四年、
  中野好夫は岩波文庫の編集長から声をかけられます。
  《なにか英文学作品で、面白くて売れそうなのはないか》と。
  岩波的な問いかけが、いいですねえ。
  それならとモームを持ち出す。
  すると《モームって、いったいなんです。大丈夫かな?》。
  聞いたこともない作家だったのです。
  《大丈夫、ぼくが保証する、信用しなさい》。
  《それが『雨』ほか三篇だったのである》。

一か月後には二万部以上が売れたそうです。
私が高校生のころ、
英文解釈の例文によく採られていました。

手元にある赤尾好夫『英語の綜合的研究』(旺文社)を開くと、
“A Writer’s Notebook”や、
“Cakes and Ale”が載っていました。

  人は年をとるにつれていよいよ無口になる。
  若い時代には、
  進んで自分の胸中を世間に吐露する。
  そして彼らが自分を受け入れてくれるであろうと感ずる。
  他の人々が自分を迎えてくれるようにと、
  自分の胸中をすっかり打ち明けたい気がするし、
  彼らの心の奥まではいりたいと願う。
  しかし、
  そうしたすべてのことをやる力はしだいに彼から去っていく。
  自分自身と仲間たちとの間にひとつの隔壁ができ、
  彼らが赤の他人であるということがわかってくるのである。
                       (『作家の手帳』)

モームのこうしたちょっと気の利いた言い回しが好きだだったなあと、
ふっと懐かしい気もします。
と同時に、
今読むと隔世の感を強く感じます。

そのころ、
全集『新潮世界文学』が発刊されて、
「モーム」と「カミュ」欲しくて欲しくて、
でも手に入れたのはずいぶん時が経ってからでした。
高校生にはかなりの高額でした。
でも、
その装丁も厚さも魅力的でした。

昨夜、
「モーム」(Ⅰ)を引っ張り出して、
『月と六ペンス』を読み始めました。

読みながら、

8月17日の「山陰文芸」を思い出しました。
  ライバルは原書でモームを読んでいた暗い兵舎の教室の隅  米子 倉井正喜
この方が学ばれた高校は、
古い兵舎が教室として使われていました。
私もその高校に勤務したことがあります。