昨日の読書は、
泉 ゆたか『幼なじみ~お江戸縁切り帖~』(集英社文庫)
旬1

巻末の解説で、
花村萬月がこんなことを書いています。
  泉 ゆたかは、
  私が選考委員をしていた〈小説現代長編新人賞〉を受賞してデビューしました。
      (中略)
  多少の否定的意見が、
  他選考委員から出たのも事実です。
      (中略)
  でも、突っ張りました。
  この人以外に受賞者はいない・・・と。
  理由は、
  艶(つや)。
  この一文字に尽きます。
  文章に、艶があったのです。

花村萬月がいう「高次元の艶」みたいな個所を、
本文から少し引用します。
  明日のことを考えるとわくわくする。
  きっと楽しいことばかりではなくて、
  難儀なこともたくさんあるけれど。
  けれども己の力を使い、
  己にしかできない仕事を進めるのはやはり気持ちの良いことだ。

  きっとこの男にも気掛かりな悩み事のひとつやふたつ、
  必ずあるに違いない。
  だが今このときは、
  余計なことを考えず目の前の仕事に精一杯取り組もう。
  そんな胸の内が聞こえてくるような姿に、
  こちらも身の引き締まる思いがした。

  そういや、
  お夢は尼寺に入ったそうだね。
  うまいところに収まったさ。
  この世には、
  己の足で立つことが苦手な奴は必ずいるからね。
  学問や駆けっこが苦手だってのと同じで、
  ちっともおかしなことじゃないさ。
  そんな奴が生(なまみ)の人に寄りかかったら、
  誰だって共倒れしちまう。
  仏様の大きな背に縋(すが)るのがいちばんさ。