【井上 靖】2021・10・13
2021年10月13日
残り少ない講演の準備をしていて、
井上靖の文章に再会しました。
前に読んだときは、
娘たちはまだ幼かったので、
「そういうこともあるのか」というほどの感慨でしたが、
娘たちが結婚して、
それぞれ母親になった今、
偶然の再会とはいえ、
じっくり読んでみると、
なんかこう、
心にしんしんとしみてくるものがありました。
結婚式の当日、
私に別れの挨拶をした娘は、
いま二児の母となり、
絶えず実家である私の家にやって来ている。
形の上ではいっこうに別れたとは言えないのである。
しかし、
私と娘の間には、
やはり“別れ”はあったのであり、
今にして思うと、
その“別れ”は、
私がこれまでに経験した“別れ”の中で、
なかなか上等なものではなかったかと思う。
いつまでも心の中で大切にしておきたいような“別れ”である。
心をえぐるような悲しみも、淋しさもないが、
その底に置かれているものの意味は、
一組の親と子の持たねばならぬ生別でも、死別でもない。
生きものの掟によってきめられてある“別れ”のような気がする。
それだけに、
本質的にはあるきびしさがある。
そういう考え方をすると、
私は一度別れた娘と、
いま改めてまた付合っているのである。
私もいま、
一度別れた娘と、
ここ数カ月、
改めてまた一緒に暮らして、
また別の親子の在り方で付き合っているのです。
同時に、
“別れ”のきびしさの中に生きているのです。