今日は昨夜の読書から。
高橋顕徹『歎異抄をひらく』(一万年堂出版)
旬1

読んでもなかなか難しく、
理解できないことの多い本ですが、
この読み方をすれば、
少なくとも読み進められます。

解らない処は深く考えないで、
サクサク読み飛ばして、
ピクンと心が跳ねる処を大事にすれば、
それでいいんじゃないか、
そう思うと随分と気が楽になります。

昨夜のピクンは「第9章」にありました。

「本文」でも「意訳」でもなく、
私の理解のままに紹介します。
浄土は極楽のはずなのに、
多くの人間は急いで行きたいとは思わない。
それどころか、
  ちょっとした病気にでもかかると、
  “死ぬのではなかろうか“
  と心細く思えてくる。
  これも煩悩のしわざである。

この世は苦悩に満ちているのに、
あたかも「故郷のごとき捨て難く」、
浄土が恋しいなどと思う者も少ない。
それもまた人間の煩悩だ。

だが、
安心せよ。
この世が「どんなに名残惜しく思えども」
この世との縁が尽き、
生きる力を失ったら、
誰も浄土に行くのだ。

そんな「浄土へ急ぐ心のなき者」をも、
一人も見捨てることなく、
弥陀は愛おしく思い、
憐れんでくださるのだ。

昨夜はここまで読み進めて、
なにかしらの心の平安を得て、
心地よく眠りにつくことができたように思います。