昭和47年発行の本を、
古本屋さんから1000円で買って、
底冷えのする昨夜、
ときどきカーテンを開けて、
雪明りを見ながら読みました。
山本有三『無事』(ほるぷ出版)

旬1

山本有三が近衛家の墓参りに行った折、
住職と立ち話をします。
酒の話に及んだ時、
住職が大病してから酒は飲めなくなったと言い、
「どうも、わたしは、死にべたでしてねえ」と続けます。

初めて聞いた言葉だったので、
その意味を尋ねたかったが、
住職が、
「だが、あなたも死にべたですなあ」
と言ったものだから、
むっとしてそのままになっていたら、
ほどなく住職が亡くなってしまいます。

数年の後、
竜沢寺の宋淵老師に出会ったとき、
このことを思い出し、
「禅宗には『死にべた』ということばがありますか」
と訊くと、
そういう言葉は聞いたことがないという答え。
ならば「死にじょうず」はどうかと尋ねると、
そういう言葉も聞いたことがないと言います。

85歳になって、
いよいよ「死にべた」を重ねているなあと思います。
そんな話が「あとがきにかえて」の中にありました。

「死にべた」と言われてもいいから、
「生きじょうず」と言われなくてもいいから、
今少し生きていたいと思います。