一日中、
降り続く雪の中、
小野寺史宜『とにもかくにもごはん』(講談社)を読み終えました。

旬1

  子どもたちにとっては、
  誰かが自分に勉強を教えてくれた、
  教えてくれようとした、
  それこそが大事なのかもしれない。

と、ここまで書いて、
昨日の山陰中央新報「元気力」を思い出しました。
  ちなみに「叱ること」と「怒ること」を、
  混在してあえて書いていますが、
  これには理由があります。
  子どもにとっては、
  怒ることも叱ることもなかなか区別がつかず、
  恐怖しか与えないからです。
  しかも周りからは、
  なかなか判断がつかない場合も少なくないように思います。
   (臨床発達心理士:難波寿和「『ただ厳しく』は時代遅れ」より)

「教えてくれた」も「教えてくれようとした」も、
子どもにとってはそれこそが大事であり、
「叱る」も「怒る」も、
子どもにとっては恐怖しか与えない。
というところが重なったのです。