元日、新しい10年日記を開きました。
新年度に初めて開く教科書の匂いがしました。
小学校の教室、
心が湧き立つものがありました。

旬1

2022・1・1 曇り一時霰
  婦人画報のおせち
  年賀状ちょうど100枚
  白潟天満宮に初詣、破魔矢、おみくじ
  コロナ5人(出雲4、雲南1)
     (後略)

2022・1・2 曇り時々晴れ一時雨
  一畑百貨店で福袋
  ゆざきさかおみ『作りたい女と食べたい女』(2)を読む
  娘たちとLINEでテレビ電話
  コロナ4人(雲南4)
     (後略)

藤原定家が日記を書き始めたのは19歳だったそうです。
治承4年4月は天変地異が続き、
定家もこのことに触れています。
  四月廿九日。天晴ル。未ノ時計(ばか)リ雹(ひょう)降る。
  雷鳴先ズ両三声ノ後、霹靂(へきれき)猛烈。
  北方ニ煙立チ揚ル。人焼亡ヲと称フ。
  京中騒動スト云々。
  木ヲ抜キ沙石ヲ揚ゲ、人家門戸並に車等皆吹キ上グト云々。(後略)
                       (藤原定家『明月記』)


同じ出来事を26歳の鴨長明も書いています。
  辻風は常に吹くものなれど、
  かかる事やある、ただ事ならず、
  さるべきもののさとしか、などぞ疑ほ侍りし。(後略)
                    (鴨長明『方丈記』)  

いずれも堀田善衛『定家明月記私抄』(新潮社)からの引用です。

定家は19歳から日記を書き始め、
56年間、書き続けたそうです。

私は16歳の元日から書き始め、
54年間、書き続けていることになります。