【この世情に晩年を生きて(50)】2022・2・10
2022年02月10日
昨日の朝日新聞に、
障害者文化論研究者の新井裕樹さんが、
「蒸し返したい東京五輪」と題して書いている。
正直なところ、
友人との間でさえ、
五輪を話題にしにくい。
相手は開催に賛成だったのか、
反対だったのか。
不用意に話を振って関係が拗れないか。
そんな不安が頭をよぎる。
(中略)
この対立の責任はどこにあるのか。
回避するための誠意ある言葉は尽くされたのか。
できれば四半世紀くらい、
この問題をたびたび蒸し返したいと思う。
蒸し返す?
たびたび!?
思い出したくもない。