昨日の朝日新聞に、
障害者文化論研究者の新井裕樹さんが、
「蒸し返したい東京五輪」と題して書いている。
  正直なところ、
  友人との間でさえ、
  五輪を話題にしにくい。
  相手は開催に賛成だったのか、
  反対だったのか。
  不用意に話を振って関係が拗れないか。
  そんな不安が頭をよぎる。
     (中略)
  この対立の責任はどこにあるのか。
  回避するための誠意ある言葉は尽くされたのか。
  できれば四半世紀くらい、
  この問題をたびたび蒸し返したいと思う。

蒸し返す?
たびたび!?

思い出したくもない。