「ちくま」(筑摩書房)の3月号に、
教育社会学者の木村涼子さんが、
「歴史の中の姉妹(わたし)たち」を載せています。

旬1
  過去の学校生活を振り返った際には、
  誰しも思い出す「女の先生」がいるだろう。
  女教師は、
  私たちにとって実に身近な存在である。
  身近であるがゆえに、
  あまり気づかれていないのは、
  女教師がこれまでの歴史で、
  常にジェンダー平等を目指す働きの前線に立っていた、
  ということではないだろうか。

  教師は、
  近代において女性に早くから開かれていた職業のひとつだ。

  日本でも、
  産業化の進展とともに、
  「男は仕事。女は家庭」
  という性別分業が確立される中で、
  教員は、
  「女性の特質を活かすことができる職業」と認識され、
  女性教員は特に初等教育機関で、
  その数を増やしていった。

私にも、
「女の先生」といえる女の先生が二人ありました。
小学校1年のときのN先生と、
高校2年生のときのH先生。

この二人の先生から、
わずかばかりの可能性を大きく引き出していただきました。
N先生からは詩の、
H先生からは英語のそれを。

そのどちらの先生のお宅にもおじゃましたことがありました。

幼心にも、
なにかしら感じるものがあったのでしょう。

思春期の魂に、
何かしら響くものがあったのでしょう。