【女の先生】2022・3・5
2022年03月05日
「ちくま」(筑摩書房)の3月号に、
教育社会学者の木村涼子さんが、
「歴史の中の姉妹(わたし)たち」を載せています。
過去の学校生活を振り返った際には、
誰しも思い出す「女の先生」がいるだろう。
女教師は、
私たちにとって実に身近な存在である。
身近であるがゆえに、
あまり気づかれていないのは、
女教師がこれまでの歴史で、
常にジェンダー平等を目指す働きの前線に立っていた、
ということではないだろうか。
教師は、
近代において女性に早くから開かれていた職業のひとつだ。
日本でも、
産業化の進展とともに、
「男は仕事。女は家庭」
という性別分業が確立される中で、
教員は、
「女性の特質を活かすことができる職業」と認識され、
女性教員は特に初等教育機関で、
その数を増やしていった。
私にも、
「女の先生」といえる女の先生が二人ありました。
小学校1年のときのN先生と、
高校2年生のときのH先生。
この二人の先生から、
わずかばかりの可能性を大きく引き出していただきました。
N先生からは詩の、
H先生からは英語のそれを。
そのどちらの先生のお宅にもおじゃましたことがありました。
幼心にも、
なにかしら感じるものがあったのでしょう。
思春期の魂に、
何かしら響くものがあったのでしょう。