その昔、担任した人からハガキが届きました。
毎年決まって、
誰よりも早く届く暑中見舞い。

『ヘルシンキ生活の練習』、読みました
の一行が添えてありました。

朴 沙羅『ヘルシンキ生活練習』(筑摩書房)
さっそく買って、
すこし読みました。

  中学一年生のとき、
  学校に来ていたALT(asistant lunguage teather)
  ネイティブスピーカーの英語の補助教員は、
  私が日本人だろうが韓国人だろうが、
  ハーフだろうがダブルだろうがどうでもいいらしい、
  と気づいた。
  この人は、
  私がどれくらい英語が話せるかにしか関心がない。
  この人と話すのはなんて気楽なんだろう。
  きっと、
  世の中にはこういう人がほかにもいるに違いない。
  私だって、
  目の前のこの人が、
  アメリカ人なのかカナダ人なのかオーストラリア人なのか、
  正直なところなんでもいい。
  ということは、
  そういう場所に行きさえすればいいんじゃないか。
  そこで、
  私は俄然、
  「外国」に住もうと思った。
  日本でも韓国でもない国に住みたい。 
           (「はじめに」より)

旬1
この数行を読んだだけで、
彼女が添え書きする気持ちが伝わりました。