【ALT】2022・8・4
2022年08月04日
その昔、担任した人からハガキが届きました。
毎年決まって、
誰よりも早く届く暑中見舞い。
「『ヘルシンキ生活の練習』、読みました」
の一行が添えてありました。
朴 沙羅『ヘルシンキ生活練習』(筑摩書房)
さっそく買って、
すこし読みました。
中学一年生のとき、
学校に来ていたALT(asistant lunguage teather)
ネイティブスピーカーの英語の補助教員は、
私が日本人だろうが韓国人だろうが、
ハーフだろうがダブルだろうがどうでもいいらしい、
と気づいた。
この人は、
私がどれくらい英語が話せるかにしか関心がない。
この人と話すのはなんて気楽なんだろう。
きっと、
世の中にはこういう人がほかにもいるに違いない。
私だって、
目の前のこの人が、
アメリカ人なのかカナダ人なのかオーストラリア人なのか、
正直なところなんでもいい。
ということは、
そういう場所に行きさえすればいいんじゃないか。
そこで、
私は俄然、
「外国」に住もうと思った。
日本でも韓国でもない国に住みたい。
(「はじめに」より)
この数行を読んだだけで、
彼女が添え書きする気持ちが伝わりました。