【彼岸】2022・9・10
2022年09月10日
カバーの無かったもう一冊は、
ひろさちや『ひろさちやの般若心経88講』(新潮文庫)
やっと第14講。
たとえば、こんな話があります。
ある仏教学者が、
隣家からの貰い火で、
自分の家が焼けてしまいました。
(中略)
「家を焼かれた」という見方をしていたのでは、
復讐したくなります。
これは此岸の見方ですね。
その仏教学者は、
「自分で自分の家を焼いた」と見ようとしました。
けれども、それは不可能です。
彼は焼いていないからです。
事実に反することはできません。
最後に彼が思いいったのは、
・・・焼けた・・・と見る見方です。
焼かれたのでもない、
焼いたのでもない、
ただ焼けたのです。
(中略)
そうすると、
だんだんに心が落ち着いてきたといいます。
これが、
「此岸の知恵」に対して、
「彼岸の智慧」であり、
それこそが「般若の智慧」だと言います。
「般若心経」の冒頭、
観自在菩薩 行深般若波羅密多時
までの講話がやっと終わったことになります。
「彼岸の智慧」
私にはなかなかに難しい。
もうすぐ彼岸、
智慧がないので、
せめて墓参りしようと思います。