カバーの無かったもう一冊は、
ひろさちや『ひろさちやの般若心経88講』(新潮文庫)

旬1

やっと第14講。
  たとえば、こんな話があります。
  ある仏教学者が、
  隣家からの貰い火で、
  自分の家が焼けてしまいました。
      (中略)
  「家を焼かれた」という見方をしていたのでは、
  復讐したくなります。
  これは此岸の見方ですね。
  その仏教学者は、
  「自分で自分の家を焼いた」と見ようとしました。
  けれども、それは不可能です。
  彼は焼いていないからです。
  事実に反することはできません。
  最後に彼が思いいったのは、
  ・・・焼けた・・・と見る見方です。
  焼かれたのでもない、
  焼いたのでもない、
  ただ焼けたのです。
    (中略)
  そうすると、
  だんだんに心が落ち着いてきたといいます。

これが、
「此岸の知恵」に対して、
「彼岸の智慧」であり、
それこそが「般若の智慧」だと言います。

「般若心経」の冒頭、
  観自在菩薩 行深般若波羅密多時
までの講話がやっと終わったことになります。

「彼岸の智慧」
私にはなかなかに難しい。

もうすぐ彼岸、
智慧がないので、
せめて墓参りしようと思います。