数日かかりましたが、
青木亮人『教養としての俳句』(NHK出版)を読み終えました。

旬1

  「一点の慰安」を湛えた俳句は何気なく、
  情景のみ黙って描かれることが少なくありません。
  それらは淡々としていますが、
  微かに哀切を伴った光景であり、
  しかも、
  「絶望」を抱きながら暮らす人々の、
  ささやかな「光」なのです。
    (第四章「俳句と、生きているということ」)

私なりに理解した「俳句」とは、
  「ここではないどこか」に憧れる人間が、
  その「どこか」を「ここ」に見いだす営み。
・・・ということと言えそうです。

俳句という営みが、
少し分かった気がしました。

「少し」と断り、
「気がした」と控えめなのは、
この本の責任ではなく、
私の理解の問題です。

大いなる学びをもらいました。