昨日の一日一冊は、
東 直子『水銀灯が消えるまで』(集英社文庫)

旬1

  一度成虫になって翅(はね)を持ってしまったら、
  飛ぶしかない。
  生きるために。
  生きた痕跡を残すために。
  たった数週間で、
  死んでいくために。
     (「バタフライガーデン」)

  うかうかしてるくらいで、
  ちょうどいいのよ。
  いつもきりきりしてたら、
  幸せにはなれないでしょう。
         (「道ばたさん」)

  麻美は、
  道ばたさんに、してやられたな、
  と思った。

  うかうかしていた。
  うかうかと道ばたさんを好きになってしまった、
  と思った。       
    (「道ばたさん」)

  あたしね、
  女の子なら、
  最後に “子” がついてる名前がいいなって、
  思ってたの。
  なんか、まじめに生きていってくれそうだから。
                (「長崎くんの今」

というところが心に残りました。

ところで、
このごろ、
女の人が書く小説は、
女と男が、
ひょいと寿司でもつまむように、
身体の関係を持ってしまう展開が多いように思います。

たとえば、この小説でいえば、
  福原には妻がいて、
  愛妻家で知られていた。(中略)
  マリアさんは、
  ひとり暮らしの自分の部屋に、
  福原を招いた。(中略)
  食事を終えると、
  二人で蜜のような時間を過ごした。
           (「アマレット」)

  そう言う生白い顔をした倉橋に、
  マリアさんは、
  男としての魅力はなにも感じなかったが、
  あの部屋で、
  細い針にちくちくされるように暮らすくらいなら、
  この男の好意を受けるのも悪くないような気がして、
  ありがとう、と答えた。
  マリアさんは、
  上京して以来、
  長年暮らし続けた部屋をかたづけ、
  倉橋の部屋に転がりこんだ。 
         (「アマレット」)

こういう箇所に出くわすと、
とたんに先を読む気力が萎えてしまう。

というわけで、
この小説も読み終えるのに時間がかかりました。