昨日の一日一冊は、
長谷川 宏『高校生のための哲学入門』(ちくま新書)

旬1

三人の「逆説」がなんとなく分かりました。

イエス「貧しき人は幸いなり」「汝の敵を愛せよ」
キルケゴール「絶望していないことが絶望していることだ」
親鸞「善人なおもて往生をとぐ、いはんや善人をや」

  分かりにくいことを分かってもらうには、
  逆説に逆説を重ねていくしかない。

どうやらそういうことらしい。

  (逆説の)ことばが小さな棘(とげ)のように心に残って、
  思考を刺激してやまない。
     (中略)
  善人よりも悪人のほうが極楽行きが確実だ、
  というのはどういうことか。
  そもそも善人とはなにか、
  悪人とはなにか。
     (中略) 
  そんな疑問が次から次へと沸きおこってくる。
  そして、
そのどれ一つとして明確な答えが見つかりそうにない。
  どころか、
  疑問が沸くたびに謎がだんだんと深まるように思える。
  といって、
  逆説的表現に出会う前の常識にもどっていくことも簡単にはできない。

要は、
こういうことらしい。
  非宗教者の心をゆさぶり、
  現実の深淵へと向かうような思索をそそってやまない。
  そこに、
  非宗教者をとらえて離さぬ宗教思想の魅力がある。
  それとの対決のなかで、
  現実を見る目が研(と)ぎすまされ、
  思索の質が深まるという魅力だ。

分からないことも多々ありますが、
長年、疑問に思っていたことが、
少し分かりかけた気がします。