昨日の一日一冊は、
宮沢賢治『ふた子の星』(フォア文庫)

旬1

幾つかの童話が入っていますが、
その中で、
最後の一編「黄いろのトマト」が、
最も興味をそそられました。

「はちすずめ」が言います。
  ペムペルという子は、
  まったくいい子だったのにかわいそうなことをした。
  ネリという子は、
  まったくかわいらしい女の子だったのにかわいそうなことをした。

「私」は何がかわいそうなのか知りたくてならないのに、、
「はちすずめ」はなかなか教えてくれません。

おそらく読者もそうだろうと思います。
だから私も興味がそそられて、
その先その先と読んでしまいました。

「はちすずめ」が明かす「かわいそうなこと」は、
町にサーカスがやって来た日に起こります。
ペムペルとネリは、
大切に育てた黄いろのトマトを「木戸口」の男に差し出して、
中に入れてもらおうとします。
男がどなりつけて、
トマトを投げつけます。
それがネリの耳に当たって、
ネリはわっと泣き出します。
大人たちはどっと笑います。
ネリを連れ出したペムペルも「高く泣き出した」のです。

「はちすずめ」が言います。
  ああかわいそうだよ。
  ほんとうにかわいそうだ。
  わかったかい。

聞いた「私」も、
「あのきょうだい」がかわいそうになり、
「目がチクチクッと痛み、涙がぼろぼろこぼれたのです」

世の中には、
お金よりもっと大切なものがある。
お金では買えないものがある。
それは人の愛情とか、
人の真心とか、
そういうものだと言いたいのだと思います。
でも、
世の中は必ずしもそのようではない。
それに気づかず、
笑いものにしたりすることもある。
それがさびしく、
そのさびしさにさらされる者がかわいそうだと、
この話は言っているのでしょう。

こんなストーリ性もあり感動もある話があるのに、
どうして、
ストーリー性も感動も薄い「やまなし」ばかりが、
教科書にのるのだろう。