【新美南吉】2023・3・4
2023年03月04日
昨日の一日一冊は、
『新美南吉童話集』(ハルキ文庫)
「牛をつないだ椿の木」に、
こんな個所がありました。
海蔵さんは藪をうしろにした小さい藁屋(わらや)に、
年とったお母さんとふたりきりで住んでいました。
(中略)
夕飯のときにふたりは、
その日にあったことを話しあうのが、
たのしみでありました。
年とったお母さんは、
隣の鶏が今日はじめて卵をうんだが、
それはおかしいくらい小さかったこと、
背戸の柊(ひいらぎ)の木に蜂が巣をかけるつもりか、
昨日も今日も様子をみにきたが、
あんなところに蜂の巣をかけられては、
味噌部屋へ味噌をとりにゆくときに、
あぶなくてしょうがないということを話しました。
海蔵さんは、
水をのみにいっているあいだに、
利助さんの牛が椿の葉をくってしまったことを話して(後略)
こんなふうに母親と、
学校であったこと、
学校の行き帰りに見たこと聞いたこと、
そんなことを夕飯のときでも、
寝るまでのあいだでも、
うらうらと話したことがあっただろうか?
大学の話や仕事の話は、
もっとしなかったなあと思います。
母がその日、
家や近所であったこと、
テレビで見たことなどを話すのを、
あんまり心して聞いていなかったような、
そんな気もします。
今だったら、
朝から晩まで、
うんうんと頷きながら聞いただろうのに。