昨日の一日一冊は、
『新美南吉童話集』(ハルキ文庫)

旬1
「牛をつないだ椿の木」に、
こんな個所がありました。

  海蔵さんは藪をうしろにした小さい藁屋(わらや)に、
  年とったお母さんとふたりきりで住んでいました。
    (中略)
  夕飯のときにふたりは、
  その日にあったことを話しあうのが、
  たのしみでありました。
  年とったお母さんは、
  隣の鶏が今日はじめて卵をうんだが、
  それはおかしいくらい小さかったこと、
  背戸の柊(ひいらぎ)の木に蜂が巣をかけるつもりか、
  昨日も今日も様子をみにきたが、
  あんなところに蜂の巣をかけられては、
  味噌部屋へ味噌をとりにゆくときに、
  あぶなくてしょうがないということを話しました。
  海蔵さんは、
  水をのみにいっているあいだに、
  利助さんの牛が椿の葉をくってしまったことを話して(後略)

こんなふうに母親と、
学校であったこと、
学校の行き帰りに見たこと聞いたこと、
そんなことを夕飯のときでも、
寝るまでのあいだでも、
うらうらと話したことがあっただろうか?

大学の話や仕事の話は、
もっとしなかったなあと思います。

母がその日、
家や近所であったこと、
テレビで見たことなどを話すのを、
あんまり心して聞いていなかったような、
そんな気もします。

今だったら、
朝から晩まで、
うんうんと頷きながら聞いただろうのに。