昨日の一日一冊は、
三浦しをん『墨のゆらめき』(新潮社)

卯の花

俺は遠田の顔を正面から見た。
「遠田さん、私たちは友だち・・・」
と意気込んで言いかけたのだが、
ちょっと考え、
「ではないですよね」
と尻つぼみになった。
「ないな」
遠田もうなずく。
「ですがまあ、『おまえが去った春の山で俺はいったいだれと遊べばいいのか」なのはたしかです」
「そうか? チカおまえ、友だち少ねえんだな」

以前、「遠田」が書いた唐詩のことを引用したのです。
君去春山誰共遊
鳥啼花落水空流
如今送別臨渓水
他日相思来水頭
(劉商「送王永」)

その意味を「俺」が尋ねたら、
「遠田」が答えます。

おまえがいなくなった春の山で、
俺はだれと遊べばいいんだ。
鳥は啼き、花は散り、川はむなしく流れるばかり、
いま、谷川のほとりでおまえの旅立ちを見送っている。
会いたい思いが募ったときいは、
またこの川辺に来よう。

「友だち」ではないが、
「(別れたあと)いったいだれと遊べばいいのか」と思う間柄、
いいじゃないですか。