【よぶこえ】第2323号「ものごころつくまで」 2018・9・1(土)
2018年09月01日
昨夜のテレビドラマ、
「透明なゆりかご」
何度か涙がにじみました。
親から、
ひどい仕打ちを受けてきた女子高校生とその友だち。
最後のナレーション。
小さな手帳は愛であふれてた。
でも、
その純粋な愛は、
ずっと続くとは限らない。
傷ついたり、
ゆがんだりして、
形が変わってしまうこともある。
ただ、
ほんの一瞬でも、
世界中の誰よりも愛されていたという証しがあれば、
私たちは生きていける。
そして、
いつか誰かを愛することもできる気がする。
その「小さな手帳」が、
母子手帳、
母子健康手帳です。
そして、
その「証し」が、
手帳に綴られた母親の言葉です。
お父さんは、
ミカちゃんのことが可愛すぎて、
「会社に行きたくな~い」
って言ってます。
お母さんが作るミルクをいっぱい飲んで、
早く大きく育ってね。
生まれてきたあなたは
すっごくかわいかった。
ほんとにめちゃくちゃ可愛かった。
アオイのことが世界一好きなママより。
「これがあったから生きてこれた」
ものごころつくまえに、
こうした愛の証しがあったから、
その後の人生で、
親からひどい仕打ちを受けても、
なんとか生きて来られたのです。
昨日から読んでいる小説、
重松清『たんぽぽ団地のひみつ』(新潮文庫)に、
こんな箇所がありました。
アルバムに、
生まれてから一年ぐらいの写真が多いということが、
家族で語られる場面です。
母さんは、
よく言ってたんだ、
子どもにものごころがついたら、
あとは自分で覚えておけばいい。
その前のことをのこしておいてやるところまでは、
親の務めだ、って。
8/28の朝日新聞「折々のことば」は、
山田風太郎でした。
父母に捨てられたとき、
彼らは、
いのちのあらんかぎり泣きさけんだであろうに・・・
人間の味わう悲哀の極限を経験したであろうに・・・
鷲田清一さんのコメント。
自分は5歳で父を、
妹は9歳で母を喪(うしな)った。
なのに、
自分に父の記憶があり、
妹に母のそれがないのは、
自分には、
父のことを語る母がいたが、
妹には、
母のことを語る人がいなかったからだと、
作家は言う。
だから、
「中国残留孤児」に、
親の記憶の大半がないと聞き、
「身につまされて、いっそうのいたましさを覚える」と。