よぶこえの引き出し

【高等学校】2019・4・28

2019年04月28日

《てつがく》
昨日、
グラントワで買った本を特急の中で読みながら、
あれこれと物思いしました。

鷲田清一『てつがくを来て、まちを歩こう』(ちくま学芸文庫)

 【高等学校】2019・4・28


てつがくする、
てつがくを着る、
てつがくを食べる、
てつがくを生きる。
そういうことを考えていて、
てつがくする小学生のことを思い出しました。


今年に入ってから、
てつがくする小学生のお母さんと、
てつがくする息子さんのことを、
折に触れて話す機会が増えました。


てつがくする小学生は、
生きづらいだろうなと思います。

現に、
その子は今が生きづらい。

でも、
彼のお母さんによく言います。

小学生、
中学生、
その数年は生きにくいかもしれませんが、
高校生になったら楽になりますから・・・と。

根拠は単なる経験知です。



《センス》
鷲田さんが、
この本の中で、
「センス」について書いています。

  「センスがいい」といわれ、
  いやなひとはいない。
  センスがいいというのは、
  頭がいいとか体力があるといってほめられるのとは違い、
  なにか好感をもたれているというか、
  まぶしく思われているというか、
  要するに、
  無理にがんばらなくても、
  じぶんのこの生き方、
  感じ方が、
  そのまま認められているという感覚があって、
  そういううわさが耳に入ってくると、
  いかに謹厳実直なひとだって、
  つい頬がゆるんでしまうというものだ。
  たとえ、
  おだてとわかっていてもだ。
  センスというのは、
  一種のバランス感覚である。


哲学する小中学生は、
哲学するがゆえに、
そのバランス感覚が少し欠けているのだろう。
いわば、
ちょっぴりセンスが無いのかもしれない。

心と体のアンバランス、
自分と世間とのアンバランス、
年齢と時代とのアンバランス。

同時代を生きるセンスに乏しいのかもしれない。
いわば、
少し早く生まれてきすぎたのだろう。
 
だから、
必要以上に縮こまったり、
無理に大きく見せようとして、
周りとの軋轢(あつれき)が生じるのだろう。



《高等学校》
講演で、
小学校や中学校に行くと、
そういう子に出会うことがあります。

でも大丈夫、
今は辛いだろけど、
高等学校に行ったら楽になるからね・・・と、
心の声で囁(ささや)いてあげたい。

高等学校とはそういう処です。
少なくとも、
私は、
そう思っています。

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