よぶこえの引き出し

【なんと】2019・4・30

2019年05月01日

《よにさしも》
今井書店に行ったとき、
支払いのレジ台に、
何冊かの持ち帰り自由の冊子が置いてありました。

その中の一冊、
岩波書店の「図書」(2019・5)

 【なんと】2019・4・30



巻頭言は、
古典文学者・久保田淳さんの「『心見る』女」でした。

  和泉式部は、
  石山寺に参詣の途中、
  山科(やましな)の、
  とある家で休んだが、
  「家主(いえあるじ)」が「心あるさま」に見えたので、
  また帰途にお寄りしましょうと言ったら、
  「よにさしも」と言われて、
  歌でこう答えた。
    かへるさを待ちこゝろみよ かくながらよもたヾにては山科の里
                     (『後拾遺和歌集』雑五)

「よにさしも」と、
和泉式部の歌を、
古語の辞書的意味にこだわると、
どうにもうまく訳せなくて、
昨日今日と、
そのことが頭を離れませんでした。

でも、
日暮れ近くになって、
誤訳を恐れず、
思い切って訳せばいいやって思うようになりました。

「よにさしも」は、
「ほんとだよ。約束したからね」・・・ほどの意味でしょうか?

「やましな」は、
「山科」と「止まじな」の掛詞でしょうから、
  帰りにはきっ、
  山科の里に寄るから待っててよ。
  約束はちゃんと守るから・・・。
  まさかやめたりなんかしないよ。



《なんと》
こうしてみると、
教員生活30数年、
長いこと、
なんとチマチマした解釈にこだわっていたことか!
なんとおもしろくもない授業をし続けてきたことか!

大事なことは、
いつも教職を退いてから悟る。

大切なことは、
みんな終わってから分かる。  

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